勤労感謝の日

 今日11月23日は、勤労感謝の日です。

「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」とされていますが
その起源は宮中行事の「新嘗祭(にいなめさい)」なのだそうです。

起源は、飛鳥時代から続くとされる「新嘗祭(にいなめさい/しんじょうさい)」という祭祀(さいし)。
「新嘗祭」は、天皇がその年に収穫された穀物を神様に捧げてから自らも食し、収穫を祝って感謝する宮中行事です。

11月23日は、毎日の食卓に感謝をしつつ、周りの人たちとも
日々の頑張りをお互いに感謝する日。
そう考えると、「勤労感謝の日」が素敵な祝日に思えてきますね。

そうしてリフレッシュした後、仕事に対する気持ちも新たに
忙しい年末を乗り越えていきましょう!!

七五三

 今日15日は七五三です。

子供の成長を祝う行事として古くから執り行われている七五三。

子供が三歳、五歳、七歳になった年の11月15日にお祝いするのが慣例となっています。

そこで今日は七五三について書きたいと思います。七五三のルーツは、

三歳の男女の「髪置き」

男女ともに数え年で3歳になると髪を伸ばし始める際に行われた儀式です。

五歳男子の「袴着(はかまぎ)」

数え年で5歳になった男の子が、正装である袴を着用し始める際に行われた儀式です。

七歳女子の「帯解き」

数え年で7歳になった女の子が、大人と同じ丸帯を使って本仕立ての着物を着始める際に行われた儀式です。

医療が発達する前の時代では、子どもが小さいうちは思わぬ事故や病気での死亡率がとても高く、「7歳までは神の子」と言われるほどでした。

3歳、5歳、7歳は成長に伴い特に病気になりやすいとされる年齢で、その年齢まで無事に成長できたことを感謝し、これからも健康に成長できるよう祈るための行事として行われてきました。

なぜ千歳飴?

千歳飴は、子どもの健やかな成長と長寿を祈る気持ちを込め、それにあやかり長い飴の棒がつくられたと言われています。

なぜ11月15日?

11月15日に七五三の参拝を行うのにはいくつかの説があります。

中でも有力なのは、江戸時代の天和元年11月15日に徳川幕府第5代将軍徳川綱吉が、病気がちだった自分の息子の健康を祈ったことから始まったとされる説です。

その他にも還暦の11月15日には豊作を感謝する「収穫祭」があり、豊作と同時に子どもの成長も祝ったとされる、11月15日が縁起のいい「鬼祝日」にあたるため、などの説があります。

子どもに「元気に育ってほしい」と願う親心が七五三のお祝いですね。

立冬

 今日11月7日は、立冬です。

 立冬とは、冬の始まりのこと。

「立」には新しい季節になるという意味があり、立春、立夏、立秋と並んで季節の大きな節目です。

 節は太陽の動きが影響します。

月の満ち欠けを基準とする太陰暦 では、太陽の運行による季節の変化と根本的に合いません。また、太陽の動きを太陽と月のめぐりを取り入れた太陰太陽暦も、厳密にいうと年ごとに季節と月日にずれがあり、年によってはひと月ぐらいずれるので、季節の目安になりにくいものです。そこで、古代中国で考案された二十四節気を暦に取り入れ、季節の指標にしたのです。

フラット35金利

住宅金融支援機構は2日、取扱金融機関が提供する「フラット35」(買取型)の11月の適用金利を発表しました。

借入期間21年以上(融資率9割以下)の金利は、年1.310%(前月比0.01%上昇)~年2.060%(同変動なし)。
取扱金融機関が提供する金利で最も多い金利(最頻金利)は、年1.310%(同0.01%上昇)となりました。
最頻金利は、2ヵ月ぶりの上昇です。

フラット35は、全期間金利の変動がなく、生活設計を立てやすい住宅ローンです。

且つ、保証人不要です。

又契約社員や勤務年数が浅い方も融資の対象としてくれます。

ハウスメーカー

 これからの人生を過ごす夢の新築一戸建ては、一生のうちで一番大きなお買い物です。
たくさんのお金と時間を費やすことになる家づくりは、絶対に失敗したくないですよね!

いい家を建てるには、会社選びが最も重要といっても過言ではありません。

どうやって会社を選んだら良いかわからない・・・
評判の良いハウスメーカーを知りたい!
夢の新築一戸建てだから絶対に失敗したくない!!

もちろん地場の工務店等も良いところはありますが今日ハウスメーカーに絞って

3つ視点からTOP10をまとめました。

ハウスメーカー 売り上げランキング
1位 ダイワハウス
2位 積水ハウス
3位 飯田グループHD
4位 住友林業
5位 ヘーベルハウス
6位 セキスイハイム
7位 ミサワホーム
8位 一条工務店
9位 パナソニックホームズ(パナホーム)
10位 三井ホーム
11位 タマホーム
12位 トヨタホーム
13位 サンヨーホームズ
14位 スウェーデンハウス
15位 富士住建

ダイワハウスは一戸建て住宅、賃貸住宅、土地売買のほかにも、商業施設などさまざまな事業があるため規模が大きく、売上高は業界トップクラスです。

ハウスメーカー 年間着工棟数ランキング
1位 積水ハウス
2位 セキスイハイム
3位 タマホーム
4位 ダイワハウス
5位 住友林業
6位 ミサワホーム
7位 一条工務店
8位 ヘーベルハウス
9位 パナソニックホームズ(パナホーム)
10位 アイフルホーム
11位 三井ホーム
12位 トヨタホーム
13位 サンヨーホームズ
14位 ユニバーサルホーム
15位 クレバリーホーム

着工数の第1位は積水ハウスです。CMでの露出も多く、圧倒的な知名度を誇っています.よね。
また、2018年度のZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)の実績が3年連続ナンバーワンと、ZEHの家を建てたいと考える方にとっても安心です。

ハウスメーカー オリコン顧客満足度ランキング
1位 スウェーデンハウス 79.71点
2位 ヘーベルハウス 78.59点
3位 積水ハウス 77.72点
4位 住友林業 77.48点
5位 三井ホーム 77.07点
6位 一条工務店 77.06点
7位 セキスイハイム 76.77点
8位 パナソニックホームズ 76.70点
9位 ダイワハウス 76.55点
10位 ミサワホーム 75.68点
11位 住友不動産 75.56点
12位 トヨタホーム 75.34点
13位 ユニバーサルホーム 74.08点
14位 クレバリーホーム 73.92点
15位 日本ハウスホールディングス  73.42点

第1位はスウェーデンハウスです。
なんと、6年連続第1位、さらに14つある評価項目のすべてが平均以上という圧倒的な顧客満足度を誇っています

今後の家づくりの参考にしてください。

580万

 ポストにセキスイハイムのチラシが入ってました。

580万円で展示場をお譲りいたしますのチラシです。

締め切りは10月30日、抽選は11月24日のようです。

間取り変更可、土地がない方でも可のようです。

当たれば相当得です。

宝くじより確率は良いそうです。

松平 康隆

東京オリンピック2の続きです。

男子バレーボールの監督になった松平は「松平8か年計画」

を挙げました。

そのためには、日本独自のコンビバレーを確立させ、それを大男にやらせる。とスローガンを抱え色々改革を始めました。

始めにフライングレシーブ

当時、ボールを拾う技術は、フットワークだと信じられ、疑うものはいなかった。
ところが、その石のような定説に彼は、自らの選手経験から疑問を持っていた。
そこで科学研究チームを招き、スパイクのスピードを計測した。

強力なデータを手に入れることになった。女子のスパイクしたボールは秒速18m。  それに対し男子は1.5倍も速い28mだったのである。
ではコート上でのボールと人間の関係はどうか。ネットからコートのエンドラインが9m。つまりコート上のボール通過時間は、28分の9秒。
約0.3秒だと分かった。そして人間の全身反応時間もこれと同じ0.3秒。
つまり男子はスパイクされたボールを前に“コートの上で一歩も動けない状態”となることが分かったのである。

女子は男子より遅いから、得意の回転レシーブで間に合ってしまうわけだ。
対策が練られた。
瞬時に全身が時空を移動する“フライング・レシーブ”の発案だった。
「打球の落下予測地点の上、20cmに片腕を鋭く突き入れてボールを受け、次にタ、ターンのリズムで腕立て伏せをすればいいはずだ」

理論は明快だったが、練習を始めるやいなや体育館に破裂音が響いた。
鋭いガシャンという音は、アゴが砕ける音だった。次から次に選手はアゴを割った。

しかし全日本を率いる松平氏はひるまなかった。
最強チームのために、彼は徹底して大型選手を集めた。1964年の東京大会では183.5cm、そして8年後のミュンヘンには191cm。
平均身長で8cmもの大型化を図っていた。
「その大型の選手が160cmの体操選手並に動けたときにフライング・レシーブが完成し、金メダルを掴めるはずだ」

身体調整能力への要求はとびきり高かった。選手全員に後方空中回転と9mの逆立ち歩行を命じた。そしてわずか半年後、
選手全員が逆立ちで課題だった9mどころか50mもの距離を疾走できるようになった。

日本の大砲たちが、攻撃を連発する時に必要だった守備は、背中に翼のある男たちが拾い集める“フライング・レシーブ”だったのである。

次に時間差攻撃

攻撃面においても彼は革命的な秘策を思いつく。
それは大ベストセラーとなっていた松本清張の小説『点と線』を読んだことによるものだった。
『点と線』には2つの死体にまつわるトリックの切り札があった。

慌しく列車や電車が行き交う東京駅。13番線ホームから15番線の『あさかぜ』が見える一日にうちのほんのわずかな時間が、犯罪トリックのキーになっていた。

このキーポイントである一瞬だけ目の前が開ける時空間のくだりを読んだとき、これをコート上のタテの時間空間に置き換えた。
エンドラインの後方で相手コートを見つめる内に、それまで頑丈な一枚岩に思えていた敵のブロックが、消える瞬間を感じたのだという。
「ネット上に東京駅・13番ホームが浮かんだんです」

一度ジャンプした人間は、次に何かしようとするときには、空中に浮かした足の裏を地面に一度着地してからしか、次の動作をすることはできない。
「・・・ということは、先に一度敵をジャンプさせればネット上には、誰もいない空間と時間が生まれる。
その誰もいない間に、ボールを返せばいいんだ」
今や世界中の誰もが知る、おとり選手を使い相手選手の目をくらます『時間差攻撃』(ムービング・ディフェンシャル・アタック)を彼は松本清張の代表作『点と線』から発想した。

次に一人時間差

銀メダルを獲得した1968年のメキシコ五輪後、松平監督は選手たちに「どんなばかげたアイデアでもいい。一人ひとつ、新しい戦法を考えよう」と指示した。
考え続けて悩んでいた11月のある日、日体大の東京・深沢キャンパス(現東京・世田谷キャンパス)体育館での練習でセッターが速攻のトスを上げるタイミングを間違えた。
一瞬跳び損ねた森田氏が、まだ空中にある球を打とうと遅れて跳ぶと、先に跳んだブロッカーは降りていた。

「これ、面白いな」。ここから、後に「移動攻撃」と呼ばれるパターンを含む6種類ほどを20分程度で考え出したという。
後日、松平監督に披露すると「一人時間差」と命名された。

すべての面で新たな方向性へと突き進んだ決断は大輪の花を咲かせた。
ミュンヘン大会の金メダルで8年計画はみごとに完結した。
ゼロから始めた革命が成就したのである。

知恵の限り、体力の限り、努力の限りを尽くして夢をかなえた8年。

続東京オリンピック

 東京オリンピックは大盛況で大成功となりました。

市川崑監督の映画『東京オリンピック』は、人の心を揺さぶる力に満ち溢れた作品だったと言われました。

ところが、1964年の東京オリンピックのバレーボール男子のコーチだった松平康隆氏は、あの映画を見たときの屈辱は今も忘れないと振り返った。
「オリンピックの映画が完成したときいて、さっそく見に行った。
3時間近い大作でした。今か今かと待ちました。ところが、男子のバレーボールについては1シーンどころか、1カットも無かったんです」

1964年東京オリンピックでバレーボールの日本男子は銅メダルを獲得していた。しかし当時はバレーボールといえば女子が代名詞であり、
“東洋の魔女”の陰に隠れた男子は、歯牙にもかけられない存在だった。

当時は一人だけ表彰台だったんですね。

1964年東京五輪の男子バレーボールで、日本は銅メダルを獲得した。世界選手権で60年8位、62年5位。苦境からよじ登った表彰台だが、女子の金にかき消された。

東京で銅メダルを取った時、世間やバレー界が女子の金ばかりもてはやして、男子は一顧だにされなかったという屈辱の思い出も、
「いまに見ていろ」の思いをいっそう燃え上がらせたようだ。

更には、女子バレーの祝賀会に男子陣は呼ばれず、
「男子バレーが忘れ物にされた」と選手は悔しい思いをしていた。

そこから松平の反骨精神に火が付く「負けてたまるか」

監督となった松平は8年計画を掲げた。

すなわち、次のメキシコで銀 その次のミュンヘンで金メダルを取るという計画である。
その後、男子はさまざまなアイデアを取り入れ、1968年メキシコ大会で銀メダル、1972年ミュンヘン大会では金メダル獲得へと昇りつめた。

松平は、全盲だった母親に厳しく育てられ、松平のリーダーシップは形作られ
目が不自由な母親にもはっきりと意思が通じるように「語尾をはっきり言え」、そして、いじめられても「負け犬になるな」と徹底して教えられて育ったそうです。

その精神が金メダルへつながったのではないでしょうか。

Fudousan Plugin Ver.5.4.1